『どこにでもある』があって、『何もない』がある日々 - My Life between fiction and reality

Kento Awashima - Documentary Photographer and University Student

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課題は憂鬱 №1 - 「荒木経惟 - 人・街- 」展Ⅱ の感想文を書け!!

アラーキーこと荒木経惟の「人・街」展Ⅱ、行ってきました。

感想を記すという課題があるので、忘れぬうちに書きます。任意課題ですが、展示に行ってしまったので、書きます。

なんという受け身な姿勢。

柔道の授業で受け身だけは頑張っていた成果がここで表れたようです。

参考に出品作品を。

A-1「地下鉄」 1966
A-2「動物園」 1966
A-3「東京物語」1988
A-4「冬へ」 1990
A-5「東京日和」1992

1 作品全般と2 「動物園」に分けて感じたこと考えたことをつらつらと記します。(2「動物園」については次の記事で)

アラーキーの作品、著作、ともにほとんど見たことがないというお恥ずかしい状況なので突拍子もないことを言うかもしれませんが、どうかご容赦を。

以下、感想。

-------------

1 作品全般

アラーキーの作品全般に言えることといえば、どこかなつかしい、いわゆるノスタルジックな写真が多いことだと思います。もちろん、今回の展示も例外ではなく、非常にノスタルジックな作品が展示されていました。そのノスタルジックさは、もちろん撮影された年が要因で生まれたと考えられますが、恐らくその他にも要因があるだろうと。そしてそこに自分が写真をやっていく上で参考になるような要素が隠れているのではないか、という観点から少し考えてみました。

私なりに解釈した結果、その他の要因は「未完成」であるように思えます。
「キマッてる」構図でバシッと撮っている、というよりも、少しずらした「キマッてない」ダサカッコイイ写真が多いと思います。(←失礼ですかねw)この「未完成」さが私たちの想像を促すような作用を持っている、という印象を持ちました。

写真は、写真技術を究めれば究めるほどに、実際に感じていた現実の把握から遠ざかっていくように思います。やはり、単純に写真技術を向上するだけでなく、「見る」という行為を突き詰めることが必要であると思うのです。

しかしながら、それらを突き詰めて、「私はこれを見ました」という非常にわかりやすい、かっこいい写真を撮ったところで、まだ写真を究めてなどいないはずです。

写真の良いところは、見た者に解釈の多くが委ねられる点です。そう考えた時に、先に述べた「未完成」は私たちに想像の余地を残してくれる写真における重要な要素ではないでしょうか。だからといって、単純に「キマッてない」写真を撮っても、私たちの想像力を喚起することはないでしょう。

バランスのとれた「未完成」。

これが私のくみ取った要素です。
しかし... 意図的に崩すっていうのは難しいですね。さて、どうしたものか。
結局、今日も普通のことを言ってしまった。

そうそう、あんまり長くなるのが嫌なので、オマケとして。

ノスタルジーを考えるにあたって、

映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」

は、すばらしすぎる作品です。
見てない人は見てね。見たことある人ももう一回見ようね。

(次の記事に続く)

55ae14d8.jpg
なんというノスタルジー。これは間違いなく伝説の彼です。

kureshin.jpg
おすすめです。



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  1. 2012/03/24(土) 14:00:00|
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